木をつかった伝統工芸

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日永うちわ 日永うちわ
三重県四日市市
東海道の間の宿 日永でうちわが作られ始めたのは、今からおよそ三百年程前の江戸時代と言われています。農家の副業として作られた日永うちわは、東海道を往来する旅人の土産物として発達してきましたが、全盛期には十数軒あったうちわ屋も戦後は三軒に減少、現在では最後の一軒を残すのみとなっています。
日永うちわの特徴の一つは、「丸柄」と呼ばれる持ち手部分のつくりにあります。一本の細い竹をそのまま使用しているので柄が丸く、手によく馴染む上、持つとひんやり心地よい感触が楽しめます。また、骨の数が五十五本前後と非常に多いのも特徴の一つ。釣竿としても使用される女竹(めだけ)を細かく割き、交互に袋状に編み込んでいくため、頑丈で弾力性に富んだうちわが生まれます。
株式会社 稲藤 http://www.inatoh.co.jp
鈴鹿墨 鈴鹿墨
三重県鈴鹿市
鈴鹿墨は、平安時代にはじまったといわれ、鈴鹿山脈の肥(こえ)松(まつ)をたいて煤(すす)をとり、これを原料として墨を作ったと伝えられています。江戸時代には、家紋を書く上で、上質の墨を必要とされ、寺子屋の発展とともに需要が激増また、紀州領土となると、紀州候から保護と厚遇を受けるようになりました。鈴鹿墨は創作時の発墨(はつぼく)が実によく、上品で厚みがあり、基線とにじみが見事に調和します。また紋書の特儀(分子が細かく紙・絹への墨の定着度が高い)を発揮できるのも鈴鹿墨ならではのことです。
現代では、伊藤亀堂の伊藤親子二人だけが製造。現代の人にも馴染みやすい様に墨業界で初めて8色の墨も製造しています。
進誠堂 http://www.suzukazumi.co.jp/
鈴鹿市伝統産業会館 http://densansuzukacity.com/
豊岡杞柳細工 豊岡杞柳細工
兵庫県豊岡市
適度な堅さとやわらかを兼ね備え、丈夫で軽く、吸湿性・防虫効果もあり、汚れたら洗うこともできる。使えば使うほど艶が出て味わいが出てくる。それが豊岡杞柳(きりゅう)細工です。杞柳細工とはコリヤナギでつくる製品の総称です。
豊岡杞柳細工は西暦27年、但馬の国を開いたといわれる新羅国の王子「雨日槍命(あめのひぼこ)」の伝授によるものという説が語り継がれています。豊岡盆地の中央を流れる円山川の荒地に自生していた杞柳で籠を編むことから始まった杞柳細工は、江戸時代には藩主の保護奨励によって産業として形を整え、「豊岡の柳行李」として全国に知られるようになりました。明治・大正時代には、手に提げて持ち運ぶことのできる「行李鞄」へと発展、さらに戦後は新しい感覚を取り入れたデザイン性のある鞄産業へと進化していきました。
たくみ工芸 http://yanagikouri.com/
紀州箪笥 紀州箪笥
和歌山県和歌山市
従来の和箪笥・昇り箪笥の特性を一棹にまとめた型で、従来の着物はもちろんカシミアやシルク、革製品なども収納しやすいように、抽斗部分の深さを三段階に分かれています。
深い抽斗には、厚手のセーターや革のハンドバックなど、女性の持つ高級素材の収納に適した深さにしています。 今のライフスタイルに合わせた型として、人気があります。
紀州桐箪笥協同組合 http://www.chuokai-wakayama.or.jp/kishutansu/
府中家具 府中家具
広島県府中市
「府中家具」は、今から約300年前の江戸時代中期から伝わる伝統産業です。大正時代には、第一次世界大戦のバブル景気で家具の需要が急増し、職人の数も増え百数十軒もの箪笥職人が軒を連ねました。
府中家具のこだわりは素材を吟味し、反りや狂いが出ないよう手間ひまかけてから加工へ移る「良い家具は、良い素材から」という点にあります。
次に、一生使いたくなるような使いやすく、愛着がもてる家具にするため、引き出しの接合部に蟻組みを用いたり、随所に伝統的な技巧を取り入れ、長年の使用に耐えられるようにしています。最後に、木目の風合いや深みをかもしだし「木味」を引き立たせる塗装を行い、おもむきのある心地良さを感じる仕上げを実践しています。
広島県の『府中家具産地』の紹介 http://www.fuchu.or.jp/~kagu/
丸亀うちわ 丸亀うちわ
香川県丸亀市
丸亀うちわは江戸時代初期に金刀比羅(こんぴら)参りの土産物として始まり、京極(きょうごく)藩が武士の内職に奨励したこともあり、丸亀の代表的な地場産業として発展を続け、現在うちわの生産量は全国の90%を誇ります。
丸亀のうちわづくりがここまで発展した理由の一つに、うちわの材料がすべて近くで間に合ったことが挙げられます。丸亀地方では「伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」と歌い継がれています。すなわち、竹は伊予(愛媛県)、紙は土佐(高知県)、ノリは阿波(徳島県)というように材料はすべて近くに産地がありました。
交通が不便だった江戸時代にはもちろん、現在でも材料が手近に求められることは、大きな強みになっています。また、竹、和紙、木綿糸、ノリを材料に伝統的な手作業で柄と骨が1本の竹で作られているものが多いことが特徴です。
丸亀うちわ http://marugameuchiwa.com/index.html
大川家具 大川家具
福岡県大川市
大川家具は470年余の歴史を持ち、室町時代に榎津久米之介が願蓮寺を創建し、家臣に舟大工職を習得させたのが始まりとされています。
その後、舟による交易が広域に及び、舟が生活の場となり舟箪笥などが作られました。さらにその舟大工の技術が指物の製造に生かされ、江戸時代には榎津指物として有名となり、大川は日本の家具生産の先駆的な役割をはたすこととなりました。
一昔前は、婚礼家具は大川で購入するというのが通例でしたが、生活様式の変化などによりその慣習は薄れつつあります。しかしながら、このような時代状況のなか、大川家具は実用主体だった家具に伝統を継承しつつも新たなデザインの開発によりインテリア感覚を持たせ、機能性の追求を行い、近年、幅広い年代から支持を集めています。
インテリアの街 「大川」 - Interior city Okawa http://www.city.okawa.fukuoka.jp/okawakagu_web/index.html
大川建具 大川建具
福岡県大川市
建具生産高日本一を誇る大川。470年余前の舟大工から始まった大川木工は、木工職人や家具職人など、木工業が分業化される中で建具業も発展してきました。
伝統の技を脈々と繋いだ建具の技術は全国でも高く評価されています。
中でも、「大川組子」は釘を使わずに木と木を組み付けて作る建具の技法のひとつで、細くひき割った木に溝・穴・ホゾ加工を施し、鉋やノコギリ、ノミ等で調整し、1本1本組付けしながら細工を施すもので、建具職人が腕を競う中、建具の装飾として自然派性的に誕生した技術です。
インテリアの街 「大川」 - Interior city Okawa http://www.city.okawa.fukuoka.jp/okawakagu_web/index.html
箱根寄木細工 箱根寄木細工
神奈川県小田原市
江戸時代末期、箱根畑宿の石川仁兵衛(いしかわにへい)により創始されたといわれています。
寄木細工は、自然の木の色を活かして、木材を組み合わせ、幾何学模様にしたものです。それをカンナで薄く削ったものを箱に貼ったり、近年では、寄木した木材をろくろで丸くして、お皿や箱の形にしたりします。寄木された木材を薄く削ったものをズク、そのままお皿や箱の形にしたものをムクと言います。
寄木細工を作るには、木材を一定の形に切断する正確さや接着技術に高度な熟練の技が必要となります。昭和59年5月に国の「伝統的工芸品」に指定されました。
一般社団法人箱根物産連合会 http://www.hakonebussan.com/
小田原漆器 小田原漆器
神奈川県小田原市
室町時代の中期、箱根山中の木をろくろで丸くした器に、漆を塗ったのが始まりです。その後、北条氏康(3代当主)が塗師を城下に招いたことから、小田原漆器は発展し、江戸時代中期には実用漆器として江戸に出荷するなど、漆器づくり技術が確立されました。
小田原漆器は、「ろくろ」加工により入念に磨き上げられた素地に、生漆をよくすり込んで、自然の木目の良さをそのまま生かした「すり漆塗」や、「木地呂塗」が主体です。木の自然の木目をそのまま生かしているところが特徴となっています。よく使われる木は、「けやき」です。昭和59年5月に国の「伝統的工芸品」に指定されました。
一般社団法人箱根物産連合会 http://www.hakonebussan.com/
木製品 木製品
神奈川県小田原市
小田原の木製品には、箱根寄木細工、小田原漆器、木象嵌、秘密箱、豆茶器玩具、組木細工、挽物玩具、小指物などがあります。
その起源は、平安時代に京都のろくろ師集団が早川地区に土着したことが始まりとされ、その生産が盛んになったのは、室町時代の後期に小田原城主の北条氏康が城下に工人を招き、発展に力を注いだことによります。
その後、豊富な木材が伊豆半島から箱根山系にかけてあったことや、東海道の街道往来者や箱根の湯治客の増加に伴い、生産が活発になりました。
戦後はサラダボウル、玩具を中心に輸出が伸び、ピーク時には生産額の約半分が輸出で占められていましたが、現在では国内の需要が中心となっています。
一般社団法人箱根物産連合会 http://www.hakonebussan.com/
小田原提灯 小田原提灯
神奈川県小田原市
江戸時代中ごろ、小田原の甚左衛門という人が箱根越えの旅人のために考案して売ったものが起源とされております。
甚左衛門の小田原提灯は、南足柄市にある名刹大雄山最乗寺の山中の木で作られ、深夜旅をしても、化け物や悪獣が近寄らず災難を免れるといわれ魔よけとしての側面もありました。
小田原提灯は、中骨がリング状に独立しているため畳み込むことができ、使用しないときは懐に入れて持ち運ぶことが出来ます。
また、中骨は平たく、胴紙をしっかりと接着させることができるため、剥がれにくく丈夫で、雨や霧にも強いものとなっています。
山崎提灯店(小田原市地場産業振興協議会内) http://www.odawarajibasan.jp/blog/chochin/
竹製品(家具) 竹製品(家具)
山口県萩市
全国で第3位の竹林面積を有する山口県-なかでも萩市周辺地域は、このうちの約2千haを占める良質な竹の産地です。萩で採れる竹は、その風土・気候条件により他の地域に比べて硬く粘りがあり、肉厚で繊維の密度が高いという優れた特徴があります。
このため昔から「高級和すだれ」や「ちょうちん」、「和傘」等の竹製品製造が盛んで、高い評価を受けてきましたが、竹製がプラスチック製や安価な輸入品に取って代わられていき、国内産竹製品の需要は激減、萩で竹に関する産業自体が廃れてしまいました。
しかし、消えてしまった竹産業の復活に動き出した現在では、100%竹素材でできたテーブルや椅子など家具の製造に取り組んでいます。特に北欧家具デザイナー(フィンランド)と東洋の素材竹のコラボによるものづくりに励んでおります。
TAKE Create Hagi http://www.hagi-take.co.jp/
竹製品(すだれ) 竹製品(すだれ)
山口県萩市

竹製品製造が盛んで、高い評価を受けてきた萩市では、この道一筋約50年、今では西日本唯一の手作りすだれ製作技術を持つ職人、平井さんによって日本の伝統が受け継がれています。平井さんの作る「すだれ」は、平安時代から宮中で使われていたという「京すだれ」です。全国的にも良質の竹といわれる、萩産の真竹から、直径1.2mmの竹ひごを1本ずつ手作業で丁寧に作りあげていきます。1枚(高さ1.8m、幅95cm)のすだれを編み上げるのに約千本のヒゴを使い、ヒゴの節間の長さが均一で左右対称になるよう一本一本選んで美しい波模様になるよう編み上げていきます。このすだれは、長く使うほど、その色合いや味わいが増し、落ち着いた気品を漂わせます。平成17年4月に開館した京都迎賓館にも35枚納められています。

紀州漆器 紀州漆器
和歌山県海南市

紀州漆器の歴史は古く、室町~戦国時代、紀州木地師たちがこの地の豊富な紀州檜を木地に、椀木地に渋下地を施す渋地椀の製造を始めたのが紀州漆器の始まりといわれています。また、現在の岩出市にある根来寺で僧徒たちが寺用の膳、椀、盆として作った堅牢な朱塗りの漆器(いわゆる根来塗、根来もの)を紀州漆器のルーツとする説もあります。
江戸時代には紀州藩の保護のもと、庶民の日用品としての需要の高まりにつれ、いっそう漆工が盛んになり、渋地椀の産地として全国的にその名が知られるようになりました。紀州漆器は、このような400年以上にわたる長い年月により錬成されてきた歴史を持っています。
 紀州漆器の代表的な変り塗りの手法である「根来塗」。
元々は、根来寺の僧徒が作った黒地に朱塗りを施した漆器が、長年の使用により、朱塗りが摩耗し下塗りの黒地が浮き出てきたもので、その趣が人々に喜ばれました。現在では朱の上塗りの一部を研ぎだして、下地の黒地を出す技法を指して「根来塗」と呼ぶようになっています。

紀州漆器協同組合 http://www.chuokai-wakayama.or.jp/sikki-k/